Park Yujin

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Bush House, King's College London

今日は少しシリアスな話をしようと思う。授業で、colonisationの話をした。インドにあるUK, Russiaのソフトパワーなど。ディスカッションをしていくうちに、心の奥底に留めていた子供の頃の記憶を回想してクラスメイトに共有することになった。何回思い出しても気分が暗くなる。だけど大事な経験だと思うのでここに書き記しておきたい。

韓国人として日本に住むことは、大多数の日本人が思っている以上にハードルが高い。不意打ちに差別を喰らう。元々オープンで明るかった性格が、自分を守るための殻を作ることで卑屈に、暗くなる。生まれた国が韓国、母親が韓国人だからという、どうしようもない理由で。

大多数の人たちは面倒なことを嫌う。だから差別の問題に対しては「自分に関係ない」というレッテルを貼って差別があった事実を透明化する。そして平和な日本が生まれる。だから私や母みたいな被差別当事者は黙るほかないのだ。

幼少期に「母が韓国人だから」という理由で酷い言葉を投げかけてきた人たちは、私のことなんか既に忘れてしまっているだろう。だけど私は忘れたくても忘れられない。今をどんなに幸せに生きようと、ふと差別され、不当にいじめられた経験が時々私を襲う。それほど幼少の差別経験というのは、人の心に深い傷を与えるのだ。

こんな経験はしないに越したことはない。しない方が良いに決まっている。ただ、こういう忌まわしい経験をしたからこそ、弱者に寄り添える私がいる。(弱者という表現は不適切かもしれないが、社会に強者がいる以上弱者はいる。弱者を透明化しない意味で、あえて「弱者」という言葉を使った。)

日本は、外からみると、または純日本人として住むと、平和でクールな国だ。ただ、私が日本という国を心の底から故郷と思える日はもう来ないだろう。なぜなら、私はどこの国にも属さない。私は私でしかないのだ。

しょこまる